活化廳 (Woofer Ten) _by_Kenichiro Egami

https://kenichiro-egami.squarespace.com/traveling-diary/


活化廳 (WooferTen) 01


油麻地は香港で最も人口密度の高い油尖旺区の中にある。東西はノーザンロードと東九龍ハイウェイに挟まれ、南北にはオースティンロードから旺角(モンコック)駅にまたがる200m×1kmの長方形の地区だ。ノーザンロードの東側、旺角にある女子街や深水埗(サムスイポー)電気街はいつも世界中の観光客でにぎわっているが、西側の油麻地は地元の人たちの集まる市場、機械工作の工具、調理器具の店の並ぶ一見地味で古くさい街のように見えてしまう。本土からの長距離バスの終点でもあるこの街には朝から夕方までひっきりなしに中国からの旅行客がやってきては両替所に列を作っている。その隣ではおばあさんが荷車を引いてボロボロの段ボールを集めて回っているし、四方をビルの外壁に囲まれた小さな公園では早朝からベンチに腰をかけぼうっと遠いまなざしをしている老人たちの姿がある。出勤途中の人々はせわしなく携帯電話を指で操作しながらその横を小走りで過ぎ去って行く。
000035.JPG
 50年代に建てられた古いショップハウスビルが寸分の隙間もなく立ち並び、壁から突き出た無数のネオン看板に文字には赤やピンクの人工色に彩られビルの谷間に浮かんでいる。街路という街路では小さな食堂の湯気が立ち上り、店の前にはこんがりと飴色に焼き上げられた鶏や鴨、赤色のチャーシューがつり下げられている。茶餐廰(チャー・チャンテン:中華と西洋のミックスした香港式朝食の店)の奥には白いテーブルとプラスチック製の椅子が並べられていて、通勤前の早餐(朝食)で、波羅包(ボーロー・バウ)や火腿蛋米粉(汁ビーフンのハムと目玉焼き)、鴛鴦茶(コーヒと紅茶を混ぜた飲み物)や港式奶茶(香港式ミルクティー、砂糖とエバミルクがたっぷり)をさっと平らげる人々の姿が見える。
000035.JPG
 路上には緑色をした大きな仏壇のような露店がずらりと並び、野菜や果物、乾物が店の前に積まれている。夕方になるとこの細い通りは大勢の買い物客の往来でにぎわう。橙色の夕日は、喉に染み付いたかのようなかけ声で客を呼び込む老齢の店主たちの顔に深い陰影を添える。道路に張り出した水色のバケツの中では、ナマズや淡水魚がクチをぱくぱくさせて買い物客を見上げている。客が一匹注文すると店員が慣れた手つきでえらに手をかけて魚を水槽からサッと引き上げまな板の上に乗せる。包丁の腹でビタンと頭をたたき、さっと真一文字に開いてはらわたを取り出し、ビニール袋にそのまな投げ込んで血の付いた手で渡す。中古携帯電話のショップでは、蛍光灯の白い光の下でどこから仕入れたのかわからない中古iphoneやテレホンカードを売っている。ショーケースの奥には売り子がいぶかしそうな目でこちらを見ている。夜にはビルの一階や裏通りには売春宿のピンク色の明かりが妖しく灯っている。木造2階建ての卸問屋が迷路のように連なっている九龍水果批發市場では、夜明け前から入れ墨をした裸の男たちが果物の段ボールを台車に載せつつせわしなく行き交っている。オールド香港の都市風景の中にあらゆる人々の暮らしが溶け込んでいる街、油麻地。噂のアートスペース、「活化庁(WooferTen)」はこの街の一角、上海街のビルの一階に構えている。(つづく)

活化廳 (Woofer Ten) 02

アートスペース「活化廳 (WooferTen)」は、油麻地、上海街に面したショップハウスの一階にある。アートスペースを名乗ってはいるけれども、いわゆるホワイトキューブと呼ばれるような白くてミニマルな空間とはいささか様相が異なっている。
ガラス窓やドアにはいつも壁新聞、告知文、新年のお札やらがぺたぺた貼られている。前の歩道には手作りのベンチが置かれていて、通りがかりのおじさんたちが座っていてガラス窓の壁新聞を眺めていたり、中国本土から観光に来た家族が腰かけてご飯を食べているが、アートには全く興味がないという様子だったり。黒いストッキングとヒールを履いた客引きの女性がWooferTenの外の壁に体を傾けつつ客を見定めている時もある。ドアを開けて中に入ると、地元のおばあちゃんやおじいちゃんたちがお茶を飲みつつ新聞を読んでいたり、中東から来た移民の子供たちが床で絵を描いたりする。路上の光景が、まるごとそのまま室内に入り込んで来たかのような空間なのだ。
室内には一目でアート作品であるとわかるようなものは見当たらない。緑色の壁には自分達で作ったポスターや張り紙があるが、内容はどうやら油麻地の地域コミュニティでの話し合いの記録のようだ。本棚があり、ベンチも置いてある。長方形の室内の真ん中には銭湯の番台のようなスペースがあり、運営メンバーは眼前に広がるに雑多な光景を横目に事務仕事をしている。低い階段を上がるとそこは地元の伝統的な看板、花牌を作る職人Mister Wonの仕事机がある。アートセンターの中に職人のおじさんの工房が入っているのだ。運営メンバーでアーティストでもある、リー•チュンフォン(Lee Chung Fong) は「いやー、最近はもう近所の人たちにオキュパイされちゃってねぇ」とのんびりとした口調で話す。そう、ここは街の人たちに見事にオキュパイされたアートセンターなのだ。
WooferTenの外観
WooferTenの外観
WooferTenは2009年から「アートはどのように地域コミュニティの活性化に寄与できるか」というテーマでこの油麻地を中心に活動している。組織としては香港芸術發展局の支援を受けているNPOで、現在の中心メンバーはアーティストのLee Cung Fung、Vangi Fongと書家/料理人のLoland Ripの第二世代だが、その他のメンバーたちや地域の人々、そして香港のアクティビストたちが共同でこのスペースを使い、展覧会やトークイベント、ワークショップを行っている。そういっても、WooferTenのコミュニティプロジェクトで商店の売り上げが上がったり、お客がよそからわんさか来る、ということは特段ない。油麻地の公園で手作り運動会をしてみたり、(香港ではおなじみの!)ゴキブリの小さなミニチュアを作るワークショップを開いたりと以外と地味だ。
WooferTenはまた、コマーシャルギャラリーの多い香港で、政治的表現や社会問題を扱った企画や展示を積極的に行っている。「64件事」は、天安門事件の記念日である6月4日に、当時の民主化運動の学生の服装をして自転車に乗り、香港の町中を巡るというクリティカルマス(Critical Mass:社会変革を意図した公共の場における集団行動)的アクションも行っているし、天安門事件をテーマにした絵画展は香港でもスキャンダラスな話題となった。
そうは言ってもWooferTenのスペースそのものが特定の政治的な指向性を帯びているというわけではないし、特段、政治的メッセージが明瞭な作品を作っているというわけでもない。新年の蚤の市をしてみたり、ペットボトルで作るガーデニング用品のワークショップをしたり、新年の書き初めをしていたりと案外普通なのだ。その理由を聞くと、「活化廳は、この街で仕事や生活を営む人たちとアーティストが一緒にコミュニティや関係性を造り出していくための色の無い容器みたいなものだから、どちらからというとオブジェよりもこの場所で生まれてくる関係そのものが作品だと思うよ」とLeeFungは答える。
WooferTenのメンバーたち
WooferTenのメンバーたち
WooferTenのホームページでは、このスペースの意図についてこう語っている。
「活化廳」是一個由十多位本地文化藝術工作者共同營運的藝術組織,期望以持續性的對話建立一個「藝術/社區」彼此活化的平台。置身於上海街,一個充滿本土特色卻又面對變遷的社區,「活化廳」期望試驗一種建立在生活關係的「社區/藝術」,並藉著不同主題的藝術計劃,引起人們對藝術/生活/社區/政治/文化的思考和討論,亦藉以打通社區豐富的人情脈絡,帶動彼此的參與、分享和發現,勾勒一小社區鄰里生活模式可能」
(グーグル日本語訳)
「活性化ホール」は約10名の文化芸術に従事者たちが共同運営する芸術組織で、「芸術/コミュニティ」の継続した対話を通じて、お互いに活性化していくためのプラットフォームを作り出すことを望んでいます。上海街を拠点とし、地域の特色を残しつつ、なお変遷を続けて行くこのコミュニティと向き合い、「活化廳」は生活関係の中で「コミュニティ/芸術」を作り出す実験や多種多様なテーマのアートプロジェクトによって、人々の芸術/生活/コミュニティ/政治/文化に対する思考と討論を引き起こし、それによってコミュニティ内の豊かな人々の情動によるつながりを生み出し、お互いに関わりあうことを通じ、小さなコミュニティの生活モデルを発見し、共有したいと望んでいます。
台湾のキュレータ、Alice Koが作ったWooferTenの活動についての短編ドキュメントはWooferTenの地域コミュニティとの普段の関わりや、香港の都市再開発と文化の問題についての語りを記録している。
WooferTenの活動の特色は、芸術を軸に据えつつも、芸術と社会の対話を促すための共通の土台(プラットフォーム)を作り出す役割を果たそうとしていることだ。普段は近隣のちょっとした問題や相談事も引き受ける町の公民館であり、同時に、香港が抱える様々な問題を議論するローカルな政治フォーラムでもある。そして日々の継続的な人々の繋がりや出会い、対話、そしてこの地域に残る文化や価値観を様々なメディア(プロジェクト、展覧会、壁新聞等々)を通して表現、伝達していく。油麻地で働く人たちの仕事にフォーカスしたトロフィを作り、それを手渡して行くというプロジェクト「多多獎.小小賞(Few few prize, Many many praise)」は、普段から当たり前のこととされている様々な都市労働の価値を再発見する試みであるが、ここではアートがトロフィーという姿をとることで、人々の普段の仕事への意識を促すメディアとしての役割を果たしていて、結果的に人々の焦点が「トロフィー(作品)」よりも「人」に移るよう意図されている。作品よりも人。
芸術が社会や政治的意識と切り離されたとき、そこには確かに美しいがそれ以上に人間の生の生々しさ、具体性、個別生、そして世界における様々な矛盾を捨象した空虚な抽象性を感じ取らずにはいられない。香港の今最も深刻な問題の一つである、新自由主義的都市開発は、この「抽象化」の具体的な様相でもある。人々の暮らしと生存は極めて不安定な競争主義的社会環境にさらされ、自己保存とカネを至上価値とした価値観の中で半永久的に競争し続けなければならない。それは社会的関係の構築ではなく、その崩壊を加速させる。結果的に生み出されるのは無関心と無責任という非-人間的態度の常態化した社会なき世界だ。
もし芸術が、個人の神秘的な創造のプロセスだけに限らず、人間の様々な価値の創出とその実践でもあるとすれば、美的•感性的情動の熱量を、資本主価値(カネ)とはことなる価値の創出や社会変革のイメージの生産、消えてゆく文化を守ることに費やすことは何ら不思議ではない。自らの創造性を「オブジェとしての作品を作る」ことよりも、「社会的諸関係の生産/再生産」に投入すること。そこで生み出された関係性そのものは目には見えないが、そこに生きる人々の間で変化し、生成し、共有されたものとして確かに「経験される」ものとなり、その継続が人々の行為と思考を変化させ、「生活」を形作り、ひいては「小さなコミュニティ」を新たに想像し、実現させていく力につながってゆく。WooferTenは、このように「社会/芸術」の関係のあり方を「生活」の中で作り出すための小さな社会実験の場だと言えるだろう。(つづく)

Woofer Ten Guest Room (Hong Kong)

2012年の4月に初めて香港を訪れた時から、僕は油麻地にあるアートスペース「活化庁(WooferTen)」のゲストルームを香港の定宿にしている。正確には毎回転がり込んでいる言ったほうが正しい。香港に行くときには友人でWooferTen運営メンバーのLeeChungFungにメールをする。そうすると「おー、ゲストルームに泊まりなよ、兄弟」と気のいい返事をいつももらう。ゲストルームとはこの「活化庁」のレジデンスルームのことで普段は海外から滞在制作をしているアーティストのための部屋のことだ。僕はアーティストでもないのに使っていいよ、と言ってくれる。ありがたい。なのでいつもほとんど何も考えずに日本から飛行機に乗り込み、空港からは真っ先に油麻地行きのバスに乗って、友人のいるWooferTenを目指すことになる。空港に到着した後も行く先が頭に入っているおかげで、宿探しや地図を広げたりすることもせずに半ば自動的に体が動いていくのにまかせる。海外に友人がいて、気軽に訪問できる場所がある。異国だけれども、友人たちが待ってくれているかぎりそこは帰るべき場所でもある。世界にはいくつものHomeがある。そう思うと、心がすっきりと軽やかになる。
 僕にとってこのゲストルームは香港探検の基地であり、ホテルであり、世界からやってくる人たちと出会えるリビングのような場所だ。ギャラリーの2軒隣のショップハウスの4階、アルミ製の格子戸を開け、薄暗く狭い階段をのぼってゆく。踊り場にはネズミ退治のホウ酸団子がばらまかれていたり、小さな赤色の祭壇に線香の煙が立ちこめていたり、上半身裸のおじさんが玄関の扉の向こうの暗がりの中で長椅子にもたれているのがちらりと見えたりする。古いショップハウスの中は、外の街路の喧噪とはうって変わってひっそりと静かで、湿っぽく淀んだ空気に満たされている。藻の茂った古い水槽の中にいる気分だ。
 このビルの3階には「Cage House」と呼ばれる部屋がある。香港の友人たちからもこの籠屋の話をよく聞く。そのほとんどは香港の住環境のひどさを代表するものとしてその名前が上がるのだが。「Cage House」はスチール製の籠の形をした一人用の居住スペースのことで、一つの室内にこの檻が積み重なって並んでいる、というのが一般的らしい。籠の中は大人一人がやっと横になれるだけのスペースしかない。トイレ、シャワーは共同。音も筒抜けで、プライバシーはない。それでも家賃は檻一個につき2万円以上はするという。人間が大きな虫かごの中に住んでいる、と言ってもいいすぎではないだろう。香港に来るまではこの都市の住宅問題の深刻さについてほとんど知らずにいたけれど、ようやくこの街で住宅と人口過密の問題が生存権を直接脅かすほどの深刻さを伴っていることが少しずつ理解できるようになってきた。Fungが以前、高円寺「素人の乱」の松本さんの家に泊まっていたときに、窓の外を眺めながら「ああ、東京の街にはこんなにも空の青さと太陽の光があふれていているし、若い人たちはみんな一人暮らしができるなんてうらやましいよ」とぽつりとつぶやいた言葉の意味も今ならわかる気がする。
 話を戻そう。そんな超過密都市香港で、海外からやってきた僕たちをタダで迎え入れる場所があるというだけどもほとんど奇跡のような話なのだ。4階の黄色いドアにはこれまでに滞在したアーティストやアクティビストたちのシールやステッカーが一面に貼られている。ドアを開けると正面には作業用のテーブル。右手にはぼろぼろのソファーと間仕切り代わりに使われている大きな絵がついたてのように立っている。Fungに聞くとこの絵は2012年の天安門事件をテーマにした展覧会で展示されていたものだという。兵士が銃を持ち天安門前を歩いている場面を写実的に描いている。この絵のついたての向こうには本棚や5m×5mほどの木製の台が設置されていて上には薄い布団が敷かれている。窓の向こうにはエンピツのおばけのような細くて長いビルが立っているのがみえる。部屋の反対側、半野外の通路の横にトイレとシャワーがある。もうタイルも壁もボロボロではっきりいうと汚いのだが、贅沢は言えない。シンクは一番奥の台所部屋にある。あまり使われてはいないけれど、ここは元炊事場だったはずだ。
 基本的にはアーティスト滞在のためのゲストルームなのだが、毎回来る度に全く異なる姿を見せる。2012年4月に初めて泊まった時は、日本、韓国、台湾から15人近くがこのゲストルームで寝泊まりして、毎日遅くまでアジア式の酒盛りが行われていたので、なんだか混沌としたアジアのゲストハウスのようだった。2回目は、それまでレジデンスで滞在していた中国からのアーティストの女の子が住んでいて、すべてが小綺麗に整頓されてちょっとおしゃれな香港オールドスクールのアパートという雰囲気だった。そして今年の初め訪問したときは、10数人の香港アナキストたちに文字通り「占拠(Occupy)」されていて、ヨーロッパのスクワットハウスも真っ青の散らかり具合で、まさにカオスのような場所へと変貌していた。
 最初に滞在した時、部屋にはベッドも布団も足りなかったので、僕は急遽近くの布団屋で折りたたみ式の簡易ベッドを購入して、空いているスペースに無理矢理広げて寝ていた。そして帰る時にFungに頼んでこの折りたたみベットをゲストルームに置かせてもらうことにした。「普段は来客用に使ってもらってかまわないから、僕が香港に来たときにまた使わせてもらえるかな?」。「おー、もちろん!」と二つ返事でOKしてくれた。そのおかげで(?)、僕は香港に「自分の部屋」ならぬ「自分のベッド」がある。海の向こうの街に自分の部屋でなく、自分のベッドを持っている。それは普段は折り畳まれて、時々誰かが使ったりしているのかもしれない。もちろん僕のベッドが香港のゲストルームにあるのはFungの好意のおかげだ。でも、自分が暮らしている場所以外にも自分のベッドがあるというのはなんだか愉快な気分だし、「いざというときにはいつでも香港に戻れるんだ」というなんだか変に自信めいた気持ちになったり、安っぽいベッドとゲストルームを思い出してみては時々元気づけられたりもする。
 震災や原発事故以降、「いつでも•どこへでも動ける」ということが自分の生きる技術として大きな意味を持ち始めた時に、この「訪れた場所の先々で、そこの暮らしに必要なものを買ったり(できれば作ったり)して、それらを他の人たちとシェアしていく」というアイデアは、閉塞感であっぷあっぷしていた僕の心の中に、一つの小さな風の通り道を照らし出してくれるように思えた。お土産を買ったり、自分のための記念品を買ったりする代わりに、その土地の友人たちの暮らしに必要な道具や物を買って、その場所に置いておく。例えば、キッチン用品をインドネシアの友人宅に置き土産に買って置いておく、ベトナムで自分が移動用に購入した自転車はアートスペースに寄贈してみる。カンボジアの知人曰く、カンボジアでは2万円出せば一つの井戸を掘ることさえができるという。手元の2万円で春物のジャケットを一枚購入するのか、カンボジアの井戸建設費用にあてるのか。そこから自分と世界との関わり方が変わってくるかもしれない。
 でも、これ無理して国際貢献しよう、といいたいわけではない。自分のカツカツの給料で無理して国際貢献しなくてよい。でも自分が直接海の向こうの誰かとつながって、今まで知らなかったお金の使い方があることを知った時、その使い方に賭けてみることもアリなんじゃないか、ということだ。自分がその場所で滞在する時に使わせてもらえるだけでなく、普段それを使っている友人達の姿を思い出してみることもできるだろうし、何よりまたその場所に帰ってくるときのきっかけにもなるかもしれない。なんて都合の良いことまでつい妄想してしまう。でも、各人それぞれの「暮らし」や「道具」を世界に散らばせたり、お互いに交換したりしていくと、何が所有物で何が共有なのかその境界は曖昧になって、その代わりに複雑な相互の贈与と返礼、そして再贈与の網の目が出来上がるかもしれない。その網の目は国境やナショナリティでは捉えられない直接的で具体的な人間と人間の関係を生み出していくだろう。そのような「暮らしの交換と共有」の実践はまだ多くが未知の領域だし、やってみる価値はあると思っている。この世界でどれだけ「そこに居てもいいよ」と言ってくれる仲間や場所を見つけることができるか、これからはそれがものすごく大事になってくるんじゃないかとぼんやりと考えている。

Hongkong/Zürich : Lee Chun Fung

http://www.kunstbulletin.ch/eingang_besucher/dsp_frame.cfm?token_session_id=140719113816A0S&token_session_benutzer_id=anonymous&a=140630131407W5D-30&p=&i=&e=&abo=&shop=&anzeigen=

von: Gabriel Flückiger


    

links: Lee Chun Fung · Cycling to the Square, 2011 ©Wooferten 
rechts: Aussenansicht Wooferten (Übersetzung des Banners: Die Strasse führt die Menschen auf den Platz), 2011 ©Wooferten

Die ART Basel ist in Asien angekommen, der riesige Wolkenkratzer M+, von Herzog & de Meuron gebaut als Vision eines «globalen Museums», bald auch. Daneben gibt es in Hongkong aber Akteure, die sich fern des Marktes und grosser Institutionen sozial-politischen Themen widmen. So der Künstler und Kurator Lee Chun Fung (*1984) mit seinen Gedenkaktionen zum Tian'anmen-Massaker.

«What the post-80s people remember is blurry fragments.» Lee Chun Fung spricht für seine Generation - die heute so alt ist, wie die Studierenden, welche 1989 auf dem Pekinger Platz des himmlischen Friedens gegen korrupte Beamte sowie für mehr Meinungs- und Pressefreiheit einstanden und am 4. Juni gewaltvoll niedergewalzt wurden. Die heutige Generation hat den Esprit um Tian'anmen nur noch vage im Bewusstsein. Umso erstaunlicher, meint Lee, da viele der damaligen Anliegen - die wuchernde Korruption beispielsweise - auch heute noch aktuell seien. Von staatlicher Seite wird Tian'anmen vertuscht und in der Geschichtsschreibung nicht berücksichtigt, doch in Hongkong, das als «Sonderverwaltungszone» gewisse Autonomie besitzt, wird dem blinden Fleck jährlich mit einer Mahnwache und mehreren tausend Kerzen im Victoria Park gedacht. Auch Lee Chun Fung geht regelmässig dorthin.

2010 initiierte er zusammen mit Chung Wai Ian die Aktion ‹Cycling to the Square›, an der eine jährlich wachsende Gruppe von Fahrradfahrer/innen teilnehmen. Das Fahrrad, mit dem viele Studierende auf den Tian'anmen-Platz fuhren, und nicht Bilder der Panzer soll die Erinnerung aktivieren. Lee versteht seine Praxis als «community activism» und sein Engagement mit Festivals, Ausstellungen, Workshops will «a platform for the younger generation to get to talk about June 4th» kreieren. So bestand ‹64 stories› neben Performances und Vorträgen aus Erinnerungsfetzen von Einwohner/innen, die im Umkreis von ‹Wooferten› lebten - einem lange Zeit staatlich unterstützten, doch nun von Lee und anderen organisiertem Kunstraum.

Im Vorfeld des diesjährigen 4. Juni häuften sich Hinweise auf eine repressive Abschreckungsstrategie der chinesischen Regierung: Auf dem Festland wurden mehrere Aktivisten, Künstler und Intellektuelle, darunter auch der Menschenrechts- und Ai Wei Wei-Anwalt Pu Zhiqiang, kurzzeitig inhaftiert sowie deren Wohnungen durchsucht, und in Hongkong wurde der Künstler Lee Wen nach einem Uni-Vortrag und chinakritischen Äusserungen auf der Toilette attackiert. Im Rahmen des Projekts ‹Visualization Strategies & Public Spheres› von FOA-FLUX und Connecting Spaces Hong Kong - Zurich werden u.a. Lee Chun Fung und ‹Wooferten› im Gasthaus zum Bären/Museum Bärengasse ihre Arbeit vorstellen.



Links
AnfangZurück zum Anfang
Ausgabe7/8  2014
AusstellungenCycling to the Square [12.07.14-27.07.14]
InstitutionenMuseum Bärengasse [Zürich/Schweiz]
Autor/inGabriel Flückiger
Künstler/inChun Fung Lee
Weitersendenhttp://www.kunstbulletin.ch/router.cfm?a=140630131407W5D-30
Geben Sie diesen Link an, falls Sie diesen Eintrag weitersenden möchten.
http://www.theartro.kr/issue/issue.asp?idx=63


상하이 스트리트에 위치한 우퍼텐 외관

상하이 스트리트에 위치한 우퍼텐 외관

우퍼텐의 내부 전시 전경

우퍼텐의 내부 전시 전경

매년 6월 4일, 페이스북 오픈콜로 모인 사람들이 자전거를 타고 상하이스트리트에서 시작하여 정부기관이 밀집한 센트럴에서 집회를 갖는다.

매년 6월 4일, 페이스북 오픈콜로 모인 사람들이 자전거를 타고 상하이스트리트에서 시작하여 정부기관이 밀집한 센트럴에서 집회를 갖는다.

비디오타지 아카이브 전경

비디오타지 아카이브 전경

오일 스트리트

오일 스트리트




홍콩의 비영리 공간들/홍콩에서는 1980년대 후반부터 이미 대안공간이 활발히 움직여왔다. 1986년 비디오타지(Videotage)의 설립을 시작으로 파라사이트(Para/Site)와 1a space가 각각 1996년과 1997년에, 아시아 아트 아카이브(Asia Art Archive)가 2000년, 사운드포켓(Soundpocket)이 2008년, 우퍼텐(Woofer Ten)이 2009년에 활동을 시작했다. 제도권 미술기관으로는 홍콩미술관과  홍콩아트센터가 있지만, 홍콩미술관은 중국 전통회화를 중심으로 선보여 왔고, 홍콩아트센터는 기획전 구성보다 대관 위주로 운영해왔다. 사실상 홍콩에서는 현재 건축 단계에 있는 M+ 미술관을 제외하면 현대미술관이 없는 셈이다. 이러한 배경에서 홍콩의 전시기획자와 작가들은 콜렉티브를 조직하여 비영리 공간으로 발전시켰고, 다양한 장르와 성격의 기관들이 모여 지금의 홍콩 미술계 지형도를 이루었다




 

















시민들과 함께 기록하는 도시의 역사와 현재/이성희/독립큐레이터





문화의 부재, 식민지에서 또 다른 식민지로




사실 이민자들의 도시 홍콩에서, 예술이 뿌리내린 것은 지난 몇 세기에 불과하다. 20세기 초, 중국 전쟁 시기를 피해 많은 중국 문학가와 예술가들이 홍콩에서 활동했지만, ‘잠시’ 머물렀을 뿐이었다. 그들은 홍콩에서 예술 활동을 하면서도 중국문화에서 자신들의 정체성을 찾았고, 영국 식민지 홍콩에서의 체류를 일시적인 것으로 규정했다. 한편, 영국의 식민지 통치는 홍콩인들에게 이민 1세대의 실용적인 삶의 방식을 지켜나가도록 했고, 서구 물질주의를 도입하여 더욱 열심히 일하도록 만들었다. 이 과정에서 생존 너머에 있는 정신적 삶의 추구는 잊은 채, 홍콩문화와 창조성은 상업과 오락에 헌신했다. 중국과 대만이 무거운 정치적, 역사적 짐을 지고 있었던 데 반해, 홍콩은 150여년의 식민지 기간 동안 상대적으로 이데올로기의 무게에서 자유로웠을 뿐만 아니라 경제적 안정성도 유지할 수 있었다. 그러나, 1997년 홍콩의 중국 반환과 더불어 급성장한 중국은 홍콩을 ‘재식민지화’하기 시작했다. 실용주의와 국제화에 익숙해진 홍콩인들에게 중국이 강요하는 문화적 가치는 여타 국가들과는 다른 것이었고, 홍콩은 이제 영국 통치가 제공한 독립성과 자율성을 ‘반환’하고 있다. 이러한 정치, 사회적 변화 속에서 홍콩의 젊은 예술가들은 그들의 삶의 조건에 대해 고민하고, 예술적 창조와 도시 사이의 관계망을 만들어가며 자신들의 목소리를 예술 밖으로 내고 있다. 도시의 지형이 하루가 다르게 변화하는 홍콩에서 자신들의 역사와 현재를 지켜내고자 하는 예술가들의 행동은 선택이 아니라 필연적인 일이다.




1970-80년대 반쥴에서 진행된 공연장면

상하이 스트리트에 위치한 우퍼텐 외관





서민들의 일상으로 파고든 아트 콜렉티브

우퍼텐(Woofer Ten)




화려하고 분주한 금융 중심지이자 상업 갤러리들이 모여 있는 센트럴에서 지하철로 몇 정거장만 지나면, 오래된 낡은 건물들과 전통적인 상점들이 즐비한 야우마테이(Yau Ma Tei)에 다다른다. 2009년, 홍콩의 서민 상업지구 야우마테이의 상하이 스트리트 사거리에 자리 잡은 아트 콜렉티브 우퍼텐은 홍콩예술위원회의 지원으로 공간을 운영해왔다. 우퍼텐은 마음 맞는 예술가와 큐레이터, 비평가, 연구자 및 교육자들이 모여 지역 커뮤니티와 함께 프로젝트를 실현하는 아트 플랫폼이자 커뮤니티 센터이다. 우퍼텐이 지향하듯 “이웃 커뮤니티와 방문객들이 이 커뮤니티 센터에 참여하는 일, 그리고 아트 프로그램이 지역 커뮤니티와 사회에 창조적인 개입으로 작용하는 일”은 상업 노동지구 한 가운데 위치한 공간의 지리적 특성과 맞물려 잘 이행되어 왔다. 우퍼텐은 지역주민들에게 가까이 다가가고자 전면 유리로 된 벽면에 프로그램 안내문과 신문기사를 가득 부착해놓는 한편, 내부에는 관람객이 쉽게 자료를 찾고 꺼내볼 수 있도록 테이블과 의자를 마련해두었다(사무공간과 전시공간, 관람객을 위한 공간을 굳이 구별하지 않고 모두가 공간을 공유한다). 이곳을 방문할 때마다 지나가는 행인과 주민들이 벽면에 있는 포스터를 읽고, 또 공간 안으로 들어와 운영자들과 얘기를 나누는 장면을 볼 수 있었다.



우퍼텐은 홍콩 도시개발자들이 선택하는 파괴적 방식에 맞서 게릴라식 프로젝트를 진행해왔다. 홍콩 도시재생위원회는 지역 환경을 체계적으로 변화시키겠다고 하지만, 사실 그들은 지역을 소멸하는데 기여하고 있을 뿐이다. 우퍼텐은 2012년 《야우마테이 자기구조 프로젝트와 시위전(Yaumatei Self-Rescue Project and Demonstration Exhibition)》를 통해 야우마테이 지역주민들과 함께 살아있는 그들의 터전을 스스로 지켜내자는 움직임을 만들었다. 창립멤버인 홍콩 작가 겸 기획자 리춘펑(Lee Chun Fung)은 우퍼텐 설립 이전부터 80년대 이후 세대의 행동주의 예술가들과 함께 무분별한 도시개발에 반대하는 사회적 예술 활동을 전개해왔다. 2006년 홍콩의 상징이자 홍콩인들의 삶의 일부인, 홍콩섬과 콸룬을 잇는 페리 선착장을 철거하기로 한 정부의 결정에 맞서, 다수의 예술가들이 페리에 탑승해 승객들 한 가운데서 퍼포먼스를 벌이고, 스타페리 선착장 주변 바닥 가득히 시민들과 함께 별을 그리는 등 다양한 예술행동을 취했다. 곧이어 이들은 이미 폐쇄된 퀸스 피어(Queen’s Pier)를 점유해 콘서트, 영화 스크리닝, 퍼포먼스, 시낭송, 전시 등 전 분야의 예술가들과 이벤트를 펼쳤다. 그러나 예술가들과 시민단체들의 적극적인 노력에도 불구하고, 스타페리 선착장과 퀸스 피어는 철거되었다. 이밖에도 2009년부터 2010년까지 시민들의 광범위한 참여를 이끌어낸 광저우-홍콩 고속철도 반대운동(Anti-High Speed Rail Movement)과 2006년 WTO 각료회의 반대를 위해 홍콩으로 건너간 한국 농민들이 삼보일배로 시위했던 모습에서 영감을 받아 홍콩 젊은이들이 무릎을 꿇고 천천히 도심지를 점유하는 운동 등은 홍콩 시민들에게 기억해야 할 역사와 지켜야 할 도시의 모습에 대해 인식하게 했다.




좌) 우퍼텐의 내부 전시 전경/우) 한국 농민들이 홍콩에서 한 WTO 각료회의 반대 삼보일배 시위에서 영감 받아 홍콩 젊은 예술가들이 펼친 퍼포먼스

좌) 우퍼텐의 내부 전시 전경

우) 한국 농민들이 홍콩에서 한 WTO 각료회의 반대 삼보일배 시위에서 영감 받아 홍콩 젊은 예술가들이 펼친 퍼포먼스





우퍼텐은 설립 때부터 지금까지 매년 6월 4일, 1989년 천안문사건을 기억하고 재조명하는 퍼포먼스도 벌여왔다. 페이스북 오픈콜로 모인 사람들이 자전거로 상하이 스트리트에서 시작하여 터널을 거쳐 정부기관이 밀집한 센트럴에서 집회를 갖는 것이었는데, 해마다 참여인원이 늘어나 이들의 움직임에 이목이 집중됐다. 지난번 방문 시, 리춘펑은 자신들의 이러한 정치적 행동을 못마땅해 한 홍콩예술위원회가 공간지원을 중단하겠으니 2013년 9월 30일까지 공간을 비우라고 통보했다고 전했다. 장기적인 정치적 행동을 펼치기 위해서는 자립적인 기금 형성도 고민해야하지 않았냐고 물었지만, 그들은 지금까지는 홍콩예술위원회의 지원 말고 다른 형태의 기금 마련은 생각해보지 못했다고 했다. 리춘펑은 자신들의 커뮤니티아트의 목적이 공간 점유나 견고한 기관 형태로 지속하고자 하는 것은 아니지만, 정부의 예술 활동 검열에 대해서는 자신들의 목소리를 낼 것이라고 했다.(홍콩 비영리기관의 선구자격인 파라사이트 또한 홍콩예술위원회에서 공간지원 중단을 통보 받았다. 그러나 파라사이트는 연말 기금마련 자선경매로 자생적인 기금을 확보해오고 있다.)


좌) 매년 6월 4일, 페이스북 오픈콜로 모인 사람들이 자전거를 타고 상하이스트리트에서 시작하여 정부기관이 밀집한 센트럴에서 집회를 갖는다./우) 1989년 천안문 사건을 재조명하는 전시 포스터

좌) 매년 6월 4일, 페이스북 오픈콜로 모인 사람들이 자전거를 타고 상하이스트리트에서 시작하여 정부기관이 밀집한 센트럴에서 집회를 갖는다.

우) 1989년 천안문 사건을 재조명하는 전시 포스터





우퍼텐에서 만난 독립기획자이자 미술비평가인 자스퍼 라우킨 와(Japar Lau Kin Wah)는 우퍼텐과 함께 행동주의 미술활동에 주력하는 아트 콜렉티브 C&G Artpartment(설립자는 쳉이만(Cheng Yee-man)과 클라라 청(Clara Cheung))의 창립에도 큰 역할을 담당했고, 홍콩 젊은 작가 발굴에 주력해온 1a space에서도 중심적 역할을 해왔다. 홍콩미술계에서 그는 오랫동안 세계화에 함몰하지 않는 지역적 이슈를 담아내는데 노력해왔지만, 최근 진행 중인 웨스트 콸룬 문화지구(West Kowloon Cultural District) 프로젝트 M+에서 홍콩 지역작가들이나 홍콩미술이 차지할 위치가 없다는 점 때문에 막막하다고 전했다. 그가 최근 C&G Artpartment와 공동기획한 《메트로폴린_도시 저항의 위상 기하학(Metropolin_Topology of Urban Resistance)》(2013) 또한 그의 심경을 반영하고 있다. 이 전시는 도시계획, 도시재생이라는 명목으로 끊임없이 바다를 메워 육지를 만들고 고층 건물을 올리는, 바다와 녹지를 잃어가는 홍콩에서 젊은 예술가들이 느끼는 ‘긴급한’ 호출을 예술어법으로 표현했다. 그러나 자스퍼는 홍콩예술위원회의 우퍼텐 공간지원 중단 결정에 대해서는 다른 입장을 보였다. 초기부터 우퍼텐은 지속을 목적으로 한 단체가 아니므로 해체할 시기가 되었다는 것이다. 우퍼텐은 현재 지속과 해체의 갈림길에서 구성원들 각자의 뜻에 따라 재구성되고 있다.




도시의 변화를 영상과 소리로 기억하는

비디오타지 / 사운드포켓




비디오타지는 1986년 미디어 아티스트 엘렌 파우(Ellen Pau)와 그의 동료들이 비디오아트 페스티벌을 조직하고 잡지, 앤솔로지 등을 발간하면서 시작된 홍콩에서 가장 오래된 아트 콜렉티브이다. 이들은 홍콩 비디오아트 관련 자료를 보관해야 할 필요를 느껴, 비디오 아카이브 형성에 힘을 기울였다. 아카이브에 소장된 비디오 중에는 다수의 홍콩 예술가들이 모여 있던 오일 스트리트 아티스트 빌리지(Oil Street Artists Village)에서 강제 퇴거하면서 저항하는 장면을 기록한 릴리 라우(Lily Lau)의 다큐멘터리 영상 도 포함되어 있다. 홍콩 중국 반환 1년 뒤인 1998년에 홍콩 예술가들은 상대적으로 임대료가 싼, 버려진 정부 창고건물이 있는 오일 스트리트에 커뮤니티를 형성했고, 곧 비디오타지를 비롯한 많은 창작 공간들이 들어서고 예술가들이 활동하는 중심지가 되었다. 그러나, 홍콩섬에서 접근성이 좋은 오일 스트리트에서 예술가들의 체류는 오래가지 않았다. 얼마 되지 않아 홍콩정부는 예술가들에게 건물에서 떠날 것을 요청했고, 곧 전기를 끊어버리는 극단적인 조치를 취했다. 예술가들이 떠난 후 ‘Save Oil Street’ 캠페인이 펼쳐졌고, 릴리 라우는 등산장비를 이용해 건물에 매달려서 “이곳은 토지 개발자들에게서 자유를 되찾아야 한다”고 벽면에 중국어로 쓰는 퍼포먼스를 했다. 비디오타지는 오일 스트리트 공간에 관련된 다수의 다큐멘터리를 모아서 < Oily Friction > (2001)을 제작했다. 한편, 2012년 아시아 아트 아카이브는 자신들이 아카이브한 오일 스트리트에 관한 자료를 재해석하는 프로젝트 < Uncatalogued: the case of the Oil Street Artists Village >를 홍콩아트페어에서 선보였다. 10여년이 훨씬 지난 지금, 정부에서 운영하는 오일 스트리트의 모습은 발전하지 않고, 텅 빈 채 낭비되고 있었다.


비디오타지 아카이브 전경

비디오타지 아카이브 전경



오일 스트리트(좌)와 비디오타지와 1a space가 있는 캐틀 디포트 빌리지(우)

오일 스트리트(좌)와 비디오타지와 1a space가 있는 캐틀 디포트 빌리지(우)







비디오타지는 오일 스트리트 이후 청사완(Cheung Sha Wan)으로 자리를 옮겼고, 2001년에 1a space와 함께 캐틀 디포트 빌리지(Cattle Depot Village)에 자리 잡았다. 그러나 해마다 치솟는 임대료에 상업갤러리들 조차 도시 외곽으로 빠져나가는 상황에서, 어떤 비영리공간도 오랜 시간 한 공간에서 활동하기는 어려워 보였다. 그런 점에서 사운드를 기록하는 기관인 사운드포켓은 물리적인 전시공간이나 아카이브 공간을 필요로 하지 않고, 사이버공간을 활용할 수 있기 때문에 공간 운영면에서 자유롭다. 사운드포켓의 창립자인 기획자 융 양(Yeung Yang)은 이미지가 과잉 생산되고 순환하는 상황에서 시각에 의존하는 일상문화가 사운드에 대한 감성을 쇠퇴시키는 지점을 회복하고자 2008년 사운드포켓을 설립했다. 시각예술이 관객들에게 지나치게 많은 이미지를 부과하는 것과 달리, 사운드포켓은 한 걸음 뒤로 물러나 조용하고 미묘한 무정형의 사운드아트를 제시하고자 한다.



사운드포켓은 누구든 사운드 아티스트가 될 수 있다고 믿고 예술가뿐만 아니라 일반인들의 사운드작업도 적극 수용한다. 주로 웹사이트나 페이스북을 통해 오픈콜 형식으로 일반인들이 참여할 수 있도록 하는데, <The Library by Soundpocket>에는 예술가뿐만 아니라 일반인들이 기록한 사운드가 주제별(Body, Construction, Crowd, Occupy, Protest 등)로 아카이브되어 있다. 사운드포켓은 < MicroCasting: Make a Record of the Summer Solstice >를 통해 일반인들에게 6월 21일 하지날의 사운드경험을 시, 사진, 드로잉 등 다양한 방식으로 표현하도록 요청하는 프로젝트나 한 지역에서 24시간 동안 사운드를 녹음하고 이를 다 같이 듣는 프로젝트 등을 진행했다. 또한, 사운드아트 페스티벌에서는 도시나 자연으로 예술가를 초대해 사운드작업을 일반인들과 공유하기도 한다. 2013년에는 영국작가 마이크 쿠퍼(Mike Cooper)를 홍콩 라마섬에 위치한 작은 마을 모탓(Mo Tat)으로 초대해 야외에서 사운드를 녹음하고, 해변에서 즉석 연주를 하는 프로젝트 < A Day in Mo Tat-Listening with Mike Cooper > 를 진행했다. 사운드포켓은 해변, 버려진 집, 옥상, 갤러리, 서점, 쇼핑몰, 거리, 골목 등 도시 곳곳으로 침투하여 ‘듣는 것’의 의미와 문화를 확산하는데 기여하고 있다.




사운드포켓의 프로젝트_사운드 라이브러리 이미지(좌), 여름의 소리를 찾는 오픈콜 이미지우)

사운드포켓의 프로젝트_사운드 라이브러리 이미지(좌), 여름의 소리를 찾는 오픈콜 이미지(우)







2010년 여름, 한국에서 만난 리춘펑은 홍콩인들은 지금 그들의 도시와 자율성을 잃어가고 있는 ‘비상사태’에 놓여있다고 했다. 그의 소개로 관심을 가진 콸룬의 소외된 상업지구의 비영리 공간 활동을 알아가면서 정치, 사회 문제에 적극적으로 개입하고 참여하는 예술이 유효함에 감화했다. 이러한 예술 활동이 지역과 시민들 사이에서 사회운동을 이끌어내고 동참하게 만드는 힘은 홍콩 비영리 공간의 가장 큰 자산이라 할 수 있을 것이다.




우퍼텐 홈페이지: http://wooferten.blogspot.kr/

비디오타지 홈페이지: http://videotage.org.hk/

사운드포켓 홈페이지: http://www.soundpocket.org.hk/






[사진제공] 우퍼텐, 이성희





*본 기사는 프로젝트 비아(Project VIA)의 지원으로 더아트로가 함께 기획·게재하는 글입니다












이성희
글. 이성희
성신여자대학교 서양화과와 동대학원 미술사학과를 졸업했다. [아트인컬처] 기자로 활동했으며, 이어서 홍콩소재 아시아 아트 아카이브(Asia Art Archive)의 한국 리서처로 일했다. 주로 현장을 기록하고 자료를 수집하는 일을 해왔다. 현재는 한국 미술관련 글을 영어로 번역하는 일과 전시기획을 하고 있다. 2013년 ‘두산 큐레이터 워크숍’에 참여하여 2014년 《본업: 생활하는 예술가(Art as Livelihood)》(두산갤러리, 서울)를 공동기획하였다. ‘프로젝트 비아’의 파일럿 프로젝트 지원에 선정되어 2014년 11월에 《오큐파이 무브먼트 이후_홍콩과 서울》(아트스페이스 풀, 서울)을 기획한다.

Creative forces: Hong Kong's emerging talent

香港人反思如何延續悼念六四精神


20140508日星期四
轉載: http://www.voacantonese.com/content/case-studies-on-hong-kong-post-june-4-incident/1685605.html

香港支聯會最近宣佈永久六四紀念館將於明年六四事件25周年紀念前正式開幕,是中國主權下的首個永久六四紀念館,有歷史意義。回顧今年六四24周年紀念活動,由於支聯會的愛國口號引起爭議,有網民發起維園以外的燭光悼念活動,反思六四的意義。

經過兩年多的籌備,香港支聯會最近宣佈斥資接近126萬美元,購入九龍尖沙咀一幢商業樓宇的全層單位,作為永久六四紀念館的館址,目前正籌款約13萬美元進行裝修,預計明年4月中,六四事件25周年紀念前正式開幕。
香港支聯會主席李卓人表示,香港的永久六四紀念館,是中國主權之下唯一一個六四紀念館,有歷史意義

去年及今年,支聯會分別在深水涉及城市大學成立兩屆臨時六四紀念館,支聯會主席李卓人接受傳媒訪問表示,成立永久六四紀念館,是讓過去在臨時六四紀念館展出的文物,有一個永久的家,他呼籲中國大陸或海外的民運人士,有收集六四相關文物,可以捐給永久六四紀念館展出,讓參觀者可以感受六四的歷史。

李卓人說:因為大家都看到,這是中國主權之下唯一個六四紀念館,也是面向香港的年輕一代,以前的臨時六四紀念館也有很多中學生以及他們的老師來到,作為他們的工作坊,去了解六四歷史的真相。另一方面也是很多以前內地(大陸)的遊客,來到這裡,第一次在大陸完全被禁制的歷史,他們第一次去知道六四的真相,所以我們很相信這樣的歷史意義,香港人是會支持。

李卓人表示,實用面積約800平方呎的永久六四紀念館,支聯會已支付超過77萬美元的首期,未來仍要每月供款接近2,600美元。李卓人指出,以往的臨時六四紀念館是免費入場,而永久六四紀念館正式開幕後,將收取少於2.5美元的入場費作為營運開支。選址接近大陸旅客出入境香港的熱點紅磡火車站,是希望吸引更多大陸旅客到六四紀念館參觀,在大陸民眾心裡播下民主種子。
香港社交網絡群組「港人自決、藍色起義」,今年首次在尖沙咀鐘樓舉行六四悼念晚會

回顧今年六四24周年紀念活動,由於支聯會以「愛國愛民、香港精神」作為口號,引起部份本土派及不支持支聯會的網民不滿,有部份網民呼籲杯葛支聯會的維園六四燭光晚會,也有團體發起到中聯辦門外及九龍尖沙咀文化中心附近的自由戰士雕像、鐘樓等地點,為六四死難者舉行悼念活動。

今年首次在尖沙咀鐘樓舉行六四悼念晚會的社交網絡群組「港人自決、藍色起義」發起人陳梓進接受美國之音訪問表示,過去他曾經連續十年參加支聯會的六四燭光晚會,後來覺得每年的晚會都過於形式化,缺乏向下一代傳遞深層次的六四訊息。而今年首次在尖沙咀鐘樓舉辦的六四晚會,聚集了超過20位參加者,希望各人可以分享自己對六四的認識及感受,不拘泥於一些唱歌、致悼詞的儀式。

陳梓進表示,受天雨影響,分享會不能夠順利進行,不過現場與其他組織的人士,約500多人一起悼念六四死難者,結果出乎預期。

陳梓進說:這個六四集會不是只有我們的組織去搞,是有很多不同的團體,都有份去參與,有些人拿了一整箱蠟燭來,免費派給一些在尖沙咀的市民。其實我覺得大家是有份參與,香港人是有份參與,而不是被某一個團體去霸佔,一定是該團體才可以搞,我覺得反而香港人是要學習一件事,我們是否一定總之講六四我們一定要找支聯會呢﹖我們是否可以自己去出一些力、每個人都出一分微小的力量,令香港每一個地方、每一個地區都有一個小型的悼念晚會。
香港活化廳核心成員李俊峰表示,維園燭光如海的畫面,有無可取替的象徵意義

陳梓進認為,香港悼念六四的活動應該遍地開花,至於今年支聯會的「愛國」口號引起本土派團體杯葛維園六四燭光晚會,陳梓進表示,很多香港人對愛國的感覺是虛無縹緲、莫衷一是,悼念六四應該集中在學習六四精神,而這樣的精神是值得香港人注意。該組織不參與支聯會維園六四燭光晚會,但不贊成杯葛悼念六四,更希望反思一年一度的悼念之後,如何延續六四精神。

陳梓進說:如果你說六四過了之後實質上沒有任何活動了,我們都要等明年的六四。

但是如果你認識了六四、認識了很多事之後,你將這件事情套在香港,其實有很多香港正在發生的事你都值得去留意。當時的學生、北京的市民是反官倒,為民主、自由去拼搏,我們香港現在都是需要香港人自己自發去為自己的民主、自由去拼搏,我們是要學習這班學生的精神,我們如何在香港繼續發亮下去。
網絡電台主持人辛比表示,香港悼念六四的燭光應該遍地開花

網絡電台主持人辛比接受美國之音訪問表示,去年有參加網民自發到中聯辦悼念六四活動,因為在北京駐港代理機構面前叫「結束一黨專政」的口號,意義更大。辛比表示,今年有香港本土派網民不滿支聯會提出「愛國愛民、香港精神」的悼念六四主題,表明不參加支聯會燭光晚會的網民比以往多,但不代表香港本土派網民杯葛悼念六四活動。

辛比說:我們不是杯葛六四,只是不去那裡(維園),但不代表不出來。我們可以去尖沙咀自由戰士雕像下面,也可以去中聯辦,正正就是所說的「薪火相傳」。薪火相傳要做到的,其實是應該遍地開花,並不是只集中在一點。他們擔心是說維園的燭光會減少,但你想想如果支聯會的燭光減少了,但是所謂減少的燭光其實是散播到其他地方,我覺得這個對於中共來說是更加頭痛。因為在中共的角度很簡單,一個地方圍了這麼多人一起,她易於控制,但當你真的遍地開花的時候,她是難於控制。
香港活化廳核心成員李俊峰表示,感染他參與維園六四燭光晚會,是十幾萬參與的群眾一起訴說六四

另外,九龍油麻地的社區藝術組織活化廳,今年六四舉辦第4屆「來往廣場的單車」悼念六四活動。當日下午從油麻地出發,騎單車到維園,參加支聯會六四燭光晚會。活化廳核心成員李俊峰接受美國之音訪問表示,受到今年支聯會愛國口號爭議影響,有人提議單車悼念活動的終點不要到維園,但李俊峰認為,就算不認同支聯會的口號,都應該在六四當晚到維園獻上燭光,因為維園燭光如海的畫面,有無可取替的象徵意義。

李俊峰說:感染我去六四(燭光)集會的不是那些歌、不是那些力歇聲嘶的口號,而是附近身邊的人。大家都是陌生的,那一晚、就那一晚出來告訴大家,其實這件事我還關心的,我沒有忘記我的良心,直接些說,這些老套一些但是真的是這樣。都沒有那些藝術可以比這個畫面更加感動,有十幾萬人一起跟你說這件事。

支聯會主席李卓人今年6月初在一個傳承六四歷史的學生營活動,與學生對談的時候表示,支聯會提出的愛國不是盲目的愛國,不是愛黨,而是挑戰一黨專政,希望中國走向民主自由的愛國。

李卓人說:我們說不愛國,我們只是愛香港,但是同時我們在中國主權下,我們如何處理這個身份上的矛盾﹖我們支聯會覺得,不要分割中國及香港,我們也要改變中國,這個也是香港革命傳統,孫中山時代的本土,即是本土運動其實孫中山你可以說是本土,而當時的本土運動沒甚麼香港的觀念。即是我們要珍惜香港本身的位置就是我們有自由推動中國的改變,大家站在這個位置去推動,到底是否宣之於口是愛國,我相信大家這個最後是大家去發聲。

今年香港支聯會在港島維園舉辦的六四24周年燭光晚會,在晚上八時正式開始前,受突然其來的滂沱大雨影響,被逼提早結束。大會宣佈有15萬人冒雨參加,與去年的18萬人比較有所減少。

今年支聯會與香港城市大學學生會合辦第二屆臨時六四紀念館,地點在九龍塘城大校園內,3個月的展期吸引23,000人次參觀,較去年深水涉第一屆臨時六四紀念館增加約15%
香港支聯會表示,今年第二屆臨時六四紀念館有23,000人次參觀

來自廣東惠州、不願意透露姓名的六四紀念館參觀者接受美國之音訪問表示,1989年六四事件發生時,他30歲,對六四事件印象深刻,所以一直有關注。

參觀者說:其實六四前就不是封得很厲害,斷斷續續看香港電視新聞,最少透過香港電視新聞看到斷斷續續的事情,很過份、很過份的事情。

記者:即是政府做得很過份。
來自廣東惠州、不願意透露姓名的六四紀念館參觀者表示,對六四事件印象深刻

參觀者:很過份、很離題。

這位參觀者表示,過往只要時間許可,他曾經到維園參加過幾次六四燭光晚會,這次在朋友介紹下參觀臨時六四紀念館,不過他最希望看到的19896-4當晚、解放軍在天安門廣場開槍的錄像,紀念館內看不到。

參觀者說:就是人想知道真相、人有良知,兩件事情就得了,不需要說其他。
住在成都的大陸遊客王小姐認為,透過香港人持續的努力,對推動中國的民主進程是有幫助


住在成都的大陸遊客王小姐今年6月初途經銅鑼灣時代廣場,有關注香港學生絕食64小時悼念六四,並參觀六四歷史的展板。王小姐接受美國之音訪問表示,雖然中國政府限制人民的言論自由,但是在微博上大陸的民眾都有轉載香港悼念六四燭光晚會的圖片,她認為透過香港人持續的努力,對推動中國的民主進程是有幫助。

王小姐說:防民之口甚於防川,現在互聯網時代,雖然在國內(大陸)很多外國的網站看不到,但是也有些有識之士他們會介紹一些東西進來,它會轉載,雖然也會被刪,但是透過不停的轉載,當局就刪不了那麼多,也封鎖不了。相信星星之火可以燎原。